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2022年6月のステートメント フラワーデモ新潟

フラワーデモ新潟(高野梓)

 

私が持つこの花は、全ての性暴力被害者に連帯するためにある。

女性はもちろんあらゆる国籍や障害の有無を問わず、全ての性別、全てのセクシュアリティの性暴力被害者が取りこぼされない社会を求めて私はここに立っている。


性暴力はシスジェンダーの女性に対して振るわれるものとして語られがちである。しかし語られることが少ないだけでトランスジェンダーの女性の多くも性暴力を受けている。女性だけではない。シスジェンダーの男性、トランスジェンダーの男性、ノンバイナリー・・・あらゆる性別の人達が性暴力を受けるし、決して珍しいことではない。


性暴力は全ての人の身近にあり、無関係ではいられない。けれどどうだろう。本当に「全ての人」の性暴力被害を想定できているだろうか。支援できているだろうか。

性暴力、性差別を許さないと訴えながら、別の差別を口にしてはいないだろうか。想定できていないが故に誰かを拒絶し傷つける言葉を向けてはいないだろうか。

それが本当に、性暴力被害者の助けとなるだろうか。


私の話をさせて欲しい。

フラワーデモ新潟を主催している私はノンバイナリーだ。男性でも女性でもない私も過去に性暴力を受けた。しかし私が受けた性暴力は「ノンバイナリーが受けた性暴力」としてではなく、男女二元論の上で語られた。

「男の子は気になる女の子をいじめてしまうものだから」

「女の子なんだから大人しくしていなさい」

「ノンバイナリーなんじゃなくて、性暴力を受けたトラウマで女らしくしているのが嫌なんでしょ」

「じゃあもう処女じゃないってこと?」

「女として魅力的だったってことなんでしょ」

これらは過去に性暴力を打ち明けた当時、大人たちの口から出てきた言葉だ。

性暴力と認められるどころか、ジェンダーアイデンティティという私の人格の根幹となる部分を否定され、さらに極めてプライベートな事柄にまで踏み込まれた。性暴力を受けたことに加え、この心無いいくつもの言葉に私は苦しんだ。

勿論このような心無い言葉はノンバイナリーの私にとってだけでなく、全ての性暴力被害者にとって二次加害となるものであり決して許してはいけない。私の苦痛と誰かの苦痛を比較するものでもあってはいけない。ただ、今は私の話をさせて欲しい。

心無い言葉、ジェンダーアイデンティティの否定によってノンバイナリーの私が受けた性暴力は無かったことにされた。今も「女の子が受けた性暴力」とされ、私という存在は無いままだ。私への#MeTooも#WithYouも、どこにもない。


私のようなノンバイナリーやトランスジェンダーの人、マイノリティとされる性的指向をもつ人は、性暴力被害を相談しても差別、偏見、無知に基づく心無い言葉を向けられる。人格の否定や被害を軽視する対応などの二次被害に遭うことも多い。誰にとっても人格を否定されることなく、被害を軽視されることなく安心して相談できる場、助けを求められる場があることは何より重要なはずだ。しかし実際はどうだろう。


社会が想定しているはずの女性の性暴力被害者ですら安心して話せる場も少なく訴えづらい現状で、想定されていない被害者達は一層不安な立場にある。差別されるかもしれない、取り合ってもらえないかもしれない、また傷つけられるかもしれない…….そんな不安や諦めから訴えや相談の窓口に向かうことすら出来ない人もいる。基本となる心理面の安全性すら確保できていないのに、どうして性暴力被害を訴えようと思えるだろうか。


社会から想定されていないが故に、被害について話すだけではなく自身の性のあり様について説明をしなければいけないという負担がある。

自身の性のあり様を他者に伝える……つまりカミングアウトせざるを得ないことになるため、身近な人にさえ相談できない人もいる。

その人の性のあり様こそが問題とされてしまい適切なケアを受けられない人もいる。

マイノリティという脆弱性を狙われるため本来なら暴力を受けることのほうが多いにも関わらず、まるで加害者予備軍のように扱われてしまう人もいる。

存在そのものを否定されてしまう人もいる。

性暴力を受けたLGBTQ+の人達が様々な相談機関や警察、病院等で助けを求めても、被害を被害とすら認められることなくそれどころか二次被害に遭ってきた。

残念ながら、今のままでは支援から取りこぼされる人達が沢山いる。これが現実だ。


だからこそ、私が持つこの花は全ての性暴力被害者に連帯するためにある。変えるためにある。

どんな性のあり様でも、どんな立場であっても、どんな仕事をしていても、全ての被害者が尊重された上で安心して助けを求められるように。必要としている情報を得られるように。適切なケアを受けられるように。

私たちフラワーデモ含め、声を聴く・支援する立場にいる一人ひとりの意識を、実践を、もっと深める必要がある。全ての性の性暴力被害者をひとりぼっちにしないために、私たちはこの社会のあらゆる差別と向き合う必要があるのだ。


今回のステイトメントはフラワーデモ新潟としての誓言だ。

一人のノンバイナリーとして、性暴力を受けたクィアの仲間達がこれ以上差別されることのない、傷つけられることのない社会を求めているし、これからも訴え続けていくと誓う。

6月はプライド月間だ。あらゆる性のあり様を、マイノリティとされる人達の人権を、ただ「認めるよ」「受け入れるよ」とまるで別世界のものとして語るのではなく、いったい今何が起きているのか、このステイトメントをきっかけに目を向けてほしい。


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